地理情報技術の発展

国際航業が1980年に導入したコンピュータマッピングシステム (CGI)



太田 守重1973年国際航業株式会社入社。現在同社上席フェロー。1979年オランダITCに社費留学。その後GISの開発及びコンサルティングに携わるとともに、ISO/TC211エキスパート、東京大学客員教授等を歴任。経済産業省産業技術環境局長「国際標準化貢献者」表彰、国土地理院長「測量関連事業功労者」表彰等を受賞。GIS名誉上級技術者(GIS学会認定)、博士(工学)東京大学



  アメリカにおける地球観測のリーダーで環境学者であるフォレスマン (Tim W. Foresman)[1]は、彼の編著『地理情報システムの歴史』[2]において、地理情報技術の発展の歴史を、以下に示す5つの時代に分けて示している。

1.パイオニアの時代(1950後半-1970前半)
2.研究開発の時代(1970前半-1980前半)
3.実装とベンダーの時代(1980前半-1990前半)
4.アプリケーション開発の時代(1990前半-2000前半)
5.ネットワークの時代(1990後半以降)

  ここでは、フォレスマンの時代区分に当時の日本国内の動向を重ね合わせ、地理情報技術 (GIT)の発展を振り返り、最後に、今後の展望に触れることとしたい。

  1950年代はこの分野の草創期である。冷戦下のアメリカにおいて、ソ連の核攻撃から国土を防衛するために、半自動式防空管制組織(SAGE)が開発されたが、どこに何が来て、どう対応するかを示すという意味で、GITを応用するシステムであった。カナダでは60年代に、全土にわたる土地利用の情報システム (Canada GIS) が開発されたが、これによって地理情報システム (GIS)という言葉が世界に広まったと言われている。1965年には、もともとシカゴで建築家として活躍していたハワード・フィッシャーが、フォード財団の援助のもと、ハーバード大学にコンピュータグラフィックスと空間解析のための研究所を開設し、SYMAPをはじめとするシステムを開発したが、この研究所がアメリカにおける地理情報技術の基礎を作ったと言える[3][4]。60年代後半、米国統計局は国勢調査データの管理システムを構築したが、これは今日に至るまで継続的に発展している。
  日本でも60年代にはGIT研究が始まり、例えば空中写真と電子計算機による、道路の経済的な路線選定の研究が国際航業株式会社によって行われ[5][6]、空中写真を使った地形情報(数値地形モデル)の抽出と土木設計への応用に関する研究が、東京大学生産技術研究所の丸安隆和研究室で行われている[7]。
  70年代は本格的な研究開発の時代であった。米国では国家環境政策法が70年に発効し、土地利用の状況把握や環境影響評価を目的とした研究開発が推進された。日本では国土利用に関する総合行政の推進を目的として、国土庁が74年に創設されたが、ここでは国土数値情報利用・管理システム(G-ISLAND)を開発するとともに、国土地理院によって同年度から国土数値情報整備が始まった。この業務の委託を受けた測量会社の多くは、対応する空間データ生産体制の整備に追われたが、筆者も当初からこの委託業務を担当し、生産システムの開発を行いながら実作業に明け暮れる毎日であった。
  80年代に入ると、それまでの研究の成果がソフトウェア商品になり、普及が加速化した。82年にはESRIがArcGISの前身であるARC/INFOを商品化した。ESRIや70年代に発足していたIntergraphなど多くのベンダーはハーバード大学のコンピュータグラフィクス研究所の影響を受けている。日本では、東京大学の伊理正夫が主査となって実施した研究の成果が『地理的情報の処理に関する基本アルゴリズム』として83年にオペレーションズリサーチ学会から報告されるなど、その後のシステム開発に大きな影響を与えた試みが見られる。具体的には、ガス、電力、通信といったライフラインの情報管理システム開発が活発化するとともに、道路管理、上下水管理、都市計画、固定資産管理といった行政の業務支援システム開発が先進自治体で始まった。86年には建設省が主導し、道路の地下埋設物件の管理を目的とする道路管理センターが設けられた。国土地理院はデジタルマッピングのデータ仕様を策定して、地図作成のデジタル化を牽引した。大手の測量会社が、行政業務の支援システムを供給するGIS企業に進化したのも、この時期である。
  90年代には、インターネットの発達に応じて、多様な地理データの組織的管理を目指す国土空間データ基盤の構築が始まった。その実現のため、アメリカでは92年に連邦情報処理規格(FIPS)としてSDTS (Spatial Data Transfer Standard:空間データ交換標準)が成立したが、同時期EUにおいてもCEN/TC 287が同様の交換標準検討を行っていた。そしてこれらの動きを統合する目的で、94年に国際標準化機構(ISO) の中に地理情報の国際規格を検討するTC 211が創設された。日本もこれに積極的に参加し、以後多くの標準化に貢献することになる。日本の場合95年の1月に起きた阪神淡路大震災の復興に地理情報の共用が求められ、関係省庁連絡会議が設けられたことが、地理データ関連の標準化を加速化させ、政府の地理データの共用が実現するとともに、自治体における統合型GISの普及が進展した。

  さて、21世紀に入ると、地理情報標準に準拠した地理情報をオープン化する試みが進展し、ボランティアによるデジタル地図の整備が世界的な規模で行われ、オープンな地理情報を使ったサービスが普及し始めた。企業もこれらの動きに積極的に貢献し、例えばスマートフォンを使った電子地図利用のサービスなどは、日常生活になくてはならないものになっている。

 一方、今日では気候変動による災害リスクの増大、COVID19の蔓延、安全な水の不足、途上国における人口爆発などが深刻化したことにより、SDGs (Sustainable Development Goals) など、世界的な規模で持続可能な社会を求める活動が活発化している。これらの複合的な問題に対処するため、サイバーフィジカルシステムをはじめ、実世界を映す鏡となる仮想現実 (VR: Virtual Reality)、複合現実(MR: Mixed Reality)、そして拡張現実(AR: Augmented Reality)など、一般的にXRと呼ばれる仕組みが整備されつつあり、それを有識者・行政・企業、そして市民が共有して、分析・予測を行い、未来をデザインして実際に構築し、維持する試みが盛んになっている。地理情報技術はこれらの仕組みを実現するためにデータを整え、それを使って解析し、役に立つ知識を提供する技術である。したがって地理情報技術は、近い将来、広大な情報処理分野の中で、数多くのアプリケーションの基盤としての役割を果たし続けることになろう。

[1] EARTH PARTY https://earthparty.org/bio/ (2021-11-18 確認)
[2] Foresman, T. W. (Ed.). (1998). The history of geographic information systems: perspectives from the pioneers. Prentice Hall.
[3] ESRI. Charting the Unknown: How Computer Mapping at Harvard Became GIS. https://www.esri.com/news/arcnews/winter0607articles/charting-the-unknown.html (2021-11-17 確認)
[4] Wikipedia, Harvard Laboratory for Computer Graphics and Spatial Analysis, https://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Laboratory_for_Computer_Graphics_and_Spatial_Analysis (2021-11-17 確認)
[5] 笠松清,中村貢治,田浦秀春.(1963). 空中写真と電子計算機の組み合わせによる最も経済的な路線選定の研究I, 写真測量 2(2), 写真測量学会
[6] 笠松清,中村貢治,田浦秀春.(1963). 空中写真と電子計算機の組み合わせによる最も経済的な路線選定の研究II, 写真測量 2(4), 写真測量学会
[7] 丸安研究室(1969), 地形情報の抽出とその自動処理, 資料69-01, 東京大学生産技術研究所第5部


(2021年11月25日 改訂)
(2016年11月14日 初稿)

※内容ならびに略歴は改訂時のものです。