トンネル工学の発展と現状

青函トンネル本州側入口 (出典:青函トンネル大特集!/風のおひるね)



大島 洋志1965年九州大学理学部地質学科卒業。同年国鉄入社。国鉄本社建設局、工事局、技術研究所、公益財団法人鉄道総合技術研究所地質・防災研究室長を経て1993年より国際航業株式会社。取締役、執行役員、上席フェローなどを歴任し、2014年より最高技術顧問。首都大学東京客員教授、理学博士、専門分野:地質工学(トンネル、地下水)



  トンネルとは、「鉄道・道路・水路などを通すため地盤を貫いてできた通路」である。もう少し学問的に定義すると、「2点間の交通と物資の輸送を目的として、その上部の地山を残して建設される地下の通路で、断面の高さあるいは幅に比べて軸方向に細長い地下空洞」であり、さらに「所定の断面の寸法をもって設けられた地下の構造物で、施工法は問わないが、仕上がり断面は2m²以上のもの」となる。トンネルは用途によって、交通運輸用(鉄道、道路、等)、水路用(上水道、水力発電用、等)、都市施設用(下水道、ガス、電力線、共同溝)などに区分され、施工方法の違いによって、山岳トンネル、シールドトンネル、開削トンネル、沈埋トンネルなどに区分され、さらに仕上がり断面の大きさによって、小断面、中断面、大断面、超大断面などに細分されたりする。
  トンネルは、古くは、洞[ほら](exp.大分県耶馬溪[やばけい]の青洞門[あおのどうもん])、明治以降、戦前までは隧道[ずいどう](exp.東海道本線熱海・函南間の丹那[たんな]隧道)などと呼ばれていた。
  日本のトンネル建設の歴史は、鉄道による大量輸送が本格的に進められるようになった明治維新以降に始まる。1871年英国人技術者の指導によって竣工した大阪・神戸間石屋川トンネル(延長61m)が日本初の鉄道トンネルとされるが、日本人のみでトンネル建設が出来るようになったのはその約10年後の京都・大津間逢坂山トンネル(延長665m)の頃からである。トンネルを計画し、設計・施工する高度な技術を習熟するには長年月を要したことによる。
  東京と新潟を結ぶ3つの鉄路を例にトンネル建設技術発展の歴史を振り返ってみる。
  まず1904年に信越線を経由する約445kmの鉄路(以下①と略す)が通じた。次いで磐越西線を経由約420km(以下②と略す)が1914年に、さらに上越線を経由する約335km(以下③と略す)が1931年に通じた。①は長いトンネルの必要がなかったため早期開通できたのであるが、アプト式鉄道で有名な碓氷峠の急こう配が最大の難点で、それよりも25km短い②が、比較的緩勾配で長大トンネルを必要としないということもあって重要な路線として建設されたといえる。しかし、①②ともに非常な遠回りであったため、上越国境の谷川岳等の山々をトンネルで貫くことで両者より約100km短絡できる③の建設が望まれるようになった。とはいえ、当時は長大トンネルを自信をもって施工できる技術レベルになかった。日本最長の中央線の笹子トンネル(4,656m)などの施工経験の積み上げによるトンネル技術のさらなるレベルアップを待ってようやく1922年に着手したのであった。とはいえ、10kmを超えるトンネルの建設はハードルが高く、前後に勾配を稼いで高度を上げるためにループを2箇所設けるなどしたうえで、約665mを最高点とする清水トンネル(9,702m)を開通させたのである。
  その後も、竣工までに16年の歳月を要した丹那トンネル(7,840m)や海底を貫く関門トンネル(3,600m)などの施工を通じて我が国のトンネル技術は着々と進歩を遂げていった。
  戦後しばらくして国力の回復とともに鉄道の複線化工事が始まりだした。完成時日本最長となった北陸本線今庄・敦賀間の北陸トンネル(13,870m)や、東海道新幹線のトンネル群の施工がその事例となる。上越線の場合、清水トンネルの開通30数年後、複線化に着手し、最高点を約600mとする新清水トンネル(13,500m)が、さらに15年後の上越新幹線建設に際しては、最高点を約525mとする大清水トンネル(22,221m)を完成、さらにその近くには関越自動車道の関越トンネル(下り10,926m、上り11,055m)が開通した。山を挟んだ2点間を出来るだけ短時間、短距離で往来出来るようにと、過去の経験を参考により深く、より長いトンネルへと挑み続けてきた歴史を上越国境のトンネル群から読み取ることができる。

建設時の関越トンネル北坑口
  つい最近まで世界最長トンネルであった津軽海峡を貫く青函トンネル(53.85km)や、山陽・東北に始まる新幹線(exp.新関門(18,713m)、八甲田(26,455m)、飯山(22,251m))、名神・東名に始まる高速道路(exp飛驒(10,710m)、東京アクアライン(9,610m))の建設に伴う数多くのトンネル、そして大都市圏の地下鉄や道路、上下水道、ガス、電力線、共同溝などの地下施設の建設を通して我が国の山岳・都市トンネル技術はさらに飛躍的発展を遂げた。今なお、中央リニアのトンネル群(exp.南アルプス(約25km)や東京外環の大深度トンネル(約16km)に挑むなど、世界をリードするトンネル技術大国となっている。

青函トンネル吉岡海底 (出典:青函トンネル大特集!/風のおひるね)
  日本と欧米諸国のトンネルを比較した場合、大きく異なるのは、安定した地塊上にある大陸の地山は大ブロック状の良好な岩盤であるのに対し、日本の地山は割れ目の多い、小岩塊の集合体で、かつ軟弱・不良であり、火山国、地震国であることなども追い打ちをかけるなど、地質条件が劣悪だということである。そのため、日本のトンネルは過去最大の難航トンネルとされる丹那トンネルの例で代表されるように、湧水や地圧との闘いが求められ、経費と工期を要する難工事が多いのだが、欧米諸国のトンネルはスイスアルプスを貫く現在世界最長のゴッタルドベーストンネル(約57km)や、英仏海峡下を貫くチャンネルトンネル(50.49km)等の例のようにかなり経済的に施工できる例が多い、という相違となっている。


ゴッタルドベーストンネル(出典:ゴッタルドベーストンネルの内部構造/swissinfo.ch)

2016年11月

※内容ならびに略歴は公開時のものです。