国土保全を担う砂防の発展と現状

白岩砂防堰堤(資料提供:NPO法人土砂災害防止広報センター)



森山 裕二1978年建設省入省、北陸地方建設局 立山砂防事務所長、JICAネパール自然災害軽減支援プロジェクトリーダー、秋田県学術国際部長、四国地方整備局河川部長、国土交通省水管理・国土保全局砂防部保全課長、砂防計画課長を経て、現在、国際航業株式会社執行役員 技師長。(公社)日本地すべり学会理事、NPO日本ネパール治水砂防技術交流会理事。技術士(総合技術監理部門、建設部門)。



「直轄砂防」の代表は「立山砂防」
 常願寺川上流の砂防事業、「立山砂防」は、砂防の「メッカ」と言われている。国土保全として国が直接実施している「直轄砂防」については、この「立山砂防」を見ればわかると言われている。
 昭和13年(1938年)に富山県が制作した「治水と砂防」という映画の復刻ビデオがある。映画の最後で、80年前の富山の光景が映し出される。映像の中で砂防の効果として紹介されているのは豊かな「水田」であり、次に商店街を走っている「路面電車」「発電所」、そして「化学工場」最後に大勢の学生たちのラジオ体操の様子である。これらから、「砂防」は食料生産に必要な農業利水施設、輸送を支える交通機関、エネルギーを作る発電施設、経済活動に必要な生産基盤、そして県民を守っていることがわかる。
 国の直轄砂防事業が、現在のような大規模な災害対策事業としての特徴を持つようになった契機は、この「立山砂防」だと言われている。近代の砂防事業の歴史は、明治の初期に始まる。「砂防」という言葉は、当時は、主に山腹斜面の植栽工事を「砂防植栽」というように使われていた。明治初期、日本の治水事業の目的は主要な輸出品である生糸の輸送を担っていた舟運のための「低水路の確保」であった。ところが、明治18年(1885年)に淀川の下流で破堤が起こり、大きな被害が出た。明治29年(1896年)に河川法が制定され、淀川の洪水対策が本格化し、「淀川改良工事」が行われた。これ以降、治水事業は、「低水管理」から「高水(洪水)対策」に移っていく。
 砂防事業もこの治水事業の変遷と同様にその目的を「平常時」の土砂流出の抑制から「洪水時」の土砂流出の抑制へと変えていった。明治6年(1873年)に「淀川水源砂防法」が制定され始まった政府による砂防の対策は、水源地域の小規模な土木施設と並行して山に植栽を行い、下流河川への土砂の流出を防ごうというものであった。「はげ山」対策が当時の砂防事業であり、「砂防」の「原点」であった。
 「河川法」に続いて明治30年(1897年)に「砂防法」が公布され、淀川上流域の砂防事業を踏まえて2府県以上にまたがる利根川や信濃川などの大河川の上流域で直轄砂防事業が実施されることになった。「立山砂防」は、これら大河川上流域の砂防事業とは異なる動機づけで始まった。
 安政5年(1875年)のマグニチュード7と推定される飛越大地震が発生し、鳶(とんび)山の峰の一部が崩れた。崩れ落ちた大量の土砂で大規模な天然ダム(河道閉塞)ができ、それが決壊し、常願寺川を流れ下った大規模な土石流が、富山平野に甚大な被害をもたらした。常願寺川は、水源地から河口までの延長が56kmしかなく、水源地の標高約3,000mからの平均勾配が約1/20の短くて急峻な川である。豪雪地帯であるため春の雪解け水でも大きな洪水や土石流を起こす。立山カルデラから流されたいくつもの巨石が今も各地に残されており、その分布図がつくられている。河口部から5kmのところにある巨石は、10m×8m×10mもの大きさがある。
 常願寺川上流域では、富山県が明治時代より苦労して砂防工事を進めてきた。新田次郎著「剣岳 点の記」にもその様子が書かれている。しかし、建設した堰堤は1回の土石流でほとんど破壊されてしまった。県の砂防工事は、度重なる土石流被害により建設した砂防堰堤が幾度も破壊され、富山県は国内でも例を見ない工事の困難さから国の直轄事業化を何度も国に要望した。当時の砂防法では、常願寺川は2県にまたがる河川でないため、直轄事業は認められなかった。契機になったのが、未曽有の大震災である関東大震災により、神奈川県の酒匂川などが大きな被害を受け、大規模な土石流により甚大な被害が発生したことである。この酒匂川などの復旧を行うため、1924年(大正13年)に「砂防法」の改正が行われ、県による工事が難しい場合は直轄事業として認められることとなった。これにより、酒匂川などとともに常願寺川の砂防事業も国直轄の砂防事業として実施されることとなった。
 こうした経緯で始まった常願寺川における直轄砂防事業は、昭和初年、重機が少ない時代に、全国の直轄砂防事業予算を集中投資し巨額の予算でもって、当時の最先端の技術と設備(工事用専用軌道や資材運搬用のインクライン、クレーンなど)を使い、「白岩砂防堰堤の建設」という現在でも大規模な土木工事を実施したのである。
 建設された「白岩砂防堰堤」は、立山上流域の砂防施設の「要」と言われ、安政大地震で崩壊しカルデラ内に不安定に残された2億立方メートルといわれる大量の土砂流出を抑制する高さ63m(副ダム7基を合わせると108m)長さ76mの大規模な砂防堰堤である。「白岩砂防堰堤」は、標高1,000メートルを超える高所の厳しい自然の下で建設された施設であることから災害大国のわが国を発展させてきた防災施設の代表として、歴史的な文化的価値があるものとして国の「重要文化財」になっている。

これからの直轄砂防事業について
 直轄砂防事業は「砂防法」に基づき、工事が技術的に極めて高度で実施が困難である、または工事に巨額の予算が必要な砂防事業については国自ら行うと規定されている。現在、十勝岳、富士山、焼岳、雲仙普賢岳や桜島などの火山地域、常願寺川、富士川、天竜川や安倍川などの大規模な崩壊地をかかえる河川の上流域で、大量の土砂が降雨等で土石流などになって流下することを防止するため、直轄砂防事業を実施している。
 例えば、富士山には「大沢崩れ」という大規模な崩壊地があり、大規模な土砂災害が発生すれば、東名高速自動車道、国道1号線、及びJR東海道新幹線などが大きな被害を受け、莫大な経済的な被害が想定される。それを防ぐために、国が持っている高度な技術を使って、直轄砂防事業を実施している。直轄砂防事業の役割は、下流の都市を守るほか、上流の電力関係施設や農業の取水施設、JRや国道など、広域的な経済に影響するインフラを守ることである。「国土強靭化」を図る上でも極めて重要な事業である。

大沢川遊砂地(出典:国土交通省 中部地方整備局 富士砂防事務所WEBサイト

 直轄砂防事業は、極めて危険で厳しい環境の下で工事が進められており、多くの犠牲者を出している。危険な場所での工事を可能にするため、遠隔操縦の無人建機による「無人化施工」が昭和60年代に「立山砂防」で試験的に実施されている。その後、「無人化施工」の技術開発は中断していたが、平成5年(1993年)から雲仙普賢岳火山噴火対策のための直轄砂防事業から本格的に活用されている。国土保全を図るためには、国土の監視観測を雨量レーダー、監視カメラ、震度計などの観測機器を光ケーブルなどでネットワーク化した監視観測システムを整備して行うことが不可欠である。
 地震災害や火山噴火災害の発生は止められない。できる限り被害の軽減を図ることが必要である。直轄砂防事業として、地震や火山噴火などによる大規模な土砂災害において、いかに被害を減らすかを考え、最新の技術を取り入れた対策をとっていくことが必要である。
総合的な火山対策(出典:国土交通省 関東地方整備局 利根川水系砂防事務所WEBサイト

2017年6月

※内容ならびに略歴は公開時のものです。