都市計画の生い立ち
平成29(2017)年12月7日、JR東京駅丸の内駅前広場が完成し、全面供用を開始した。この丸の内駅前広場は明治21(1888)年にわが国初の近代的都市計画法として発布された東京市区改正条例を施行する東京市区改正設計に基づいて、大正3(1914)年に誕生した。
東京市区改正条例による事業は道路、運河、橋梁、上下水道等多岐に亘るが、東京の市街地の改造だけを対象としていたため、大正7(1918)年、拡大する東京の近郊市街地や大阪などの他の大都市にも準用され、都市計画の対象が拡大した。翌大正8(1919)年、社会構造の変化や大都市への人口集中を背景にヨーロッパ諸国に倣って、市街地建築物法(現在の建築基準法)と都市計画法(旧法)が制定され、都市建設の法的な根拠となった。
その後、関東大震災、戦災の復興事業を契機として特別都市計画法が制定、戦後の急速な都市化に積極的に対処し、地方主体の都市計画を実施するため、昭和43(1968)年に大幅改正されて以降、地方分権や都市環境の保全等への対応を背景にほぼ毎年、改正を重ね現在に至っている。
都市建設の歴史
このように、都市計画は法律の系譜を辿ると近代以降、時代の要請に応え変遷してきたことが分かるが、わが国の都市建設の歴史は日本書紀にある「都を難波長柄豊碕に遷す」ところから始まる[白雉元(650)年]。
この後、都の造営は天智天皇の大津京、壬申の乱後の持統天皇による藤原京の建設となるが、本格的な都市計画として建設が行われたのは元明天皇により和銅3(710)年、奈良盆地の北隅に造られた平城京である。平城京以降長岡京を経て延暦15(794)年には平安京が造営、その地勢は「四神相応の地である」とされる。「四神相応」とは、「東に流れありて青龍、南に沢畔ありて朱雀、西に道ありて白虎、北に山ありて玄武と称し、これが四神にかなう」というもので、江戸の町も四神相応の地として造営された。
都市計画の今
都市計画は都市の健全な発展と秩序ある整備を図るための土地利用、都市施設の整備及び市街地開発事業に関する計画で(都市計画法第四条)、都市の空間的構成と施設整備についての技術的手法(フィジカルプラン)と、制度、財源などを扱う行財政計画(アドミニストラティブプラン)が両輪となる。いずれも、高度経済成長期の急速な都市化を経て、都市の成長、拡大を前提としていたが、現下の人口減少・超高齢化・市街地縮小などの新たな社会状況の変化への対応が今、都市計画に求められている。
現在、人口減少、少子高齢化を背景として、既成市街地から住居・都市機能が消失し、空き地・空き家化する現象が健在化しつつある。1970年代、アメリカやイギリスで生じたインナーシティ問題はわが国でも東京、大阪の大都市圏で1980年代に議論されたが、中・高所得層の郊外流出等に伴うインナーシティエリアの衰退現象と今日の都市の空洞化は異なる。今、直面している人口減少、少子高齢化は大都市圏だけではなく、地方の中小都市も含めた全国で進行しているからである。
この防止策や対処策は、今まで経験してきた都市計画の技術的手法にも行財政計画にも見当たらない。特に地方都市においては、人口減少、少子高齢化に拍車がかかり、経済が停滞して税収が減少するなか、公共施設・設備の維持管理や行政サービスのコストがネックとなり、自治体経営そのものの継続性が危機的状況にある。人口減少が激しい市町村を対象にした新聞社の調査では5~10年後にインフラの新設をやめる自治体は5割に上るという(日本経済新聞2018年1月18日)。
都市計画のこれから
都市計画基本問題小委員会(国土交通省)では平成29(2017)年8月、中間とりまとめで「都市のスポンジ化」への対応をテーマとして、都市計画制度の課題と施策の具体的方向性を整理した。都市計画制度の課題には土地の非利用のコントロールや施設整備後の機能維持に関するマネジメント等があり、スポンジ化の予防策としては都市空間の管理(マネジメント)を推進するための契約的手法の導入や官民によるエリアマネジメントの担保、更にはまちづくりを主体的に担う地域住民、民間団体等によるコミュニティ活動の推進を挙げている。平成30(2018)年2月には、「都市のスポンジ化」対策を総合的に進めるための「都市再生特別措置法等の一部を改正する法律案」が閣議決定された。
都市計画は規制・誘導を都市計画決定という権力的な行政手法で行ってきたが、ここに住民・事業者との契約という非権力的な手法を導入することは、都市計画における社会的合意形成の重要性が増すことを意味している。都市の現状や再生のシナリオを見える化し、市民はもとより産業界、国や地方自治体、大学等研究機関が価値観やビジョンを共創、共有することで、新たな役割分担と連携が必要となる。「i-都市再生」(内閣府)や「都市構造評価」(国土交通省)は、こうした見える化への取り組みであり、都市計画に果たす空間情報技術の役割が増大していることは論を待たない。
都市計画(国土計画・地方計画含む)には2通りのアプローチがある。現状の不合理を取り除き、今使える手法と手段によって合理性と一般性のより高い状態を創り出すこと、もう一つは、現在考えられる理想像を最終の目的として、その到達方法を考えること。これは小職の恩師の教えでもある(大塚全一(1985):土地と人とまちとむら,pp.161-162,丸善出版サービスセンター(東京))。都市計画に携わる者にとって大切なことは、科学的、合理的な予測の下で、将来に齟齬を生じさせない確信を持つことである。
これからの都市計画が多様な利害関係者の合意形成を必然として進めるものであるとすれば、コンサルタント、空間情報技術者等都市計画を生業とする者には関係者間の理想像と価値を共有し、その理想像の実現に向けて行政と住民・事業者との契約をコーディネートする新たな役割が求められる。
※内容ならびに略歴は公開時のものです。