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国土計画、道路計画に携わる。土木学会フェロー・特別上級土木技術者。
経済白書に「もはや戦後ではない」と記述され、その後の高度経済成長へ向けて大きく舵をきった昭和31年(1956年)は、日本の高速道路にとっても黎明期であった。同年、世界銀行よりワトキンス調査団が来日し、「日本の道路は信じ難いほど悪い。工業国にしてこれほど完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない。」と調査報告書に記述された。このワトキンス報告が名神高速道路、東名高速道路の整備につながり、それからの日本の高度経済成長を支えることになる。
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高速道路は沿道からの利用が制限され、インターチェンジからの出入りに限られている自動車専用道路である。設計速度は120km/hと一般の道路と比べて高く、そのためカーブや勾配が緩やかで、車線幅員も広く、構造物(橋梁やトンネル)の延長が長くなっている。現在整備が進められている、第2東名・名神道路は設計速度140km/h、曲線半径3,000m、勾配2%、車線幅員3.75mとさらに高い規格になっている。また道路利用者が休憩や食事をしたり、情報を手に入れたりするためのサービスエリア、パーキングエリアも高速道路には必須であり、近年ではそれ自体が目的地化しているところも多くなっている。
これまでの高速道路の整備を通じ、長大橋や長大トンネルなどの設計技術や建設技術といった土木技術は世界の最先端といわれるまでに発展してきた。しかし、日本の高速道路は大都市の環状道路が繋がっていないなどネットワークとして未完成の区間も多く、暫定2車線で供用している区間も約3割、規制速度が100km/hの区間は全体の四分の一に過ぎず、空港・港湾との交通結節点が弱いなど、国際競争力を高める上でも高速道路の整備が大きな課題となっている。
ドイツではアウトバーン、アメリカではインターステートハイウェイというように各国でも高速道路が計画的に整備されている。イタリア、ドイツでは戦前 (1920年代) から取り組んできたが、アメリカ、フランス、イギリスなどは戦後(1950年代)に入ってから整備に着手した。欧米先進諸国ではすでに6車線~8車線の都市間道路や大都市の環状道路が完成しているが、「経済活動のグローバル化の中で高速道路網などの整備されたところに民間投資は集まる。」(オバマ米大統領)という認識の下、国際競争力を高めるための重要施策として着実に高速道路網の整備が続けられている。
高速道路の整備効果は市民生活の隅々にまで現れてきている。日々食卓に上る生鮮食料品のほとんどが全国各地からトラック輸送で運ばれてくるが、昭和50年代後半に東北から九州まで日本列島の背骨が高速道路で結ばれたことにより、遠隔地からの輸送が可能となり、わが国の食生活は大きく変わった。世論調査で「ものの豊かさより、心の豊かさが大事だ」という人が増えてきたのもこのころである。製造業では広範囲に立地するいくつかの工場を高速道路で結び付けることによって、あたかもひとつの工場として生産しているような形態が多くなっている。そこでは高速道路上のトラックが倉庫のような役割を担っている。このため東日本大震災や熊本地震でも見られたように、生産システムを支えている高速道路が切断されると、被災地から離れた工場の操業にも影響を与えるという問題も生じている。
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道路は古代から社会生活を支える役割を担ってきた。高速道路は今の社会になくてはならない存在であるが、これからの高度情報化社会の中で、走行支援など新たな技術を取り入れながら、それぞれの時代にあった社会資本として、その役目を果たすことが求められている。
2016年11月
※内容ならびに略歴は公開時のものです。