暦は普通、年、月、週、日などの期間それぞれに整数を割り当てることによって日々を示します。グレゴリオ暦は、ローマ教皇グレゴリウス13世の命によって、それまで使用されてきたユリウス暦の1582年10月4日の翌日を1582年10月15日金曜日とする暦です。
地球から見て、太陽は1年かけて、その通り道である黄道と、天の赤道の交点(春分点)の位置から移動して元の位置に戻ります。その時間を太陽年(tropical year)と言います。
グレゴリオ暦では、通常は
1月、3月、5月、7月、8月、10月、12月は31日
2月は28日
4月、6月、9月、11月は30日
をひと月とし、合計365日で1年としますが、
4で割り切れる年は閏(うるう)年として、2月は29日間になり、1年は366日間になります。
ただし、100で割り切れる年は平年になります。例えば1900年は平年。
また、400で割り切れる年は閏年にします。例えば2000年は閏年。
つまり、比率としては、それぞれの年の25%は閏年ですが、1%は平年、しかし0.25%は閏年になるので、365日に加えて
0.25 - 0.01 + 0.0025 = 0.2425日
が1年の平均日数(365.2425日)になり、これがグレゴリオ暦における太陽年の長さ(平均太陽年)です。とはいえ、実際には、太陽に対する地球の公転周期、つまり1年の長さは、わずかながら徐々に短くなっていることが知られています[1]。
ところで、グレゴリオ暦を、その制定以前に遡及して適用する場合、その暦はproleptic Gregorian calendarと呼ばれます。prolepticとは、法律などを制定前に遡って適用するという意味ですが、暦と日付の表記のための国際標準であるISO 8601[3]を基に制定された日本産業規格 JIS X 0301[4]では「仮想的な」と訳しています。この標準は特に情報処理の分野で用いられています。ちなみに仮想的なグレゴリオ暦では0年は閏年とされます。
さて、グレゴリオ暦が制定されるまでの間、ユリウス暦(平均太陽年は365.25日)が、1600年以上も使用されてきたので、ヨーロッパの古記録に記されている暦日は多くの場合ユリウス暦です。そこで、日本とヨーロッパなどの対比をする場合に便利なように、和暦と共にユリウス暦の日付を併記する場合があります。例えば気象庁は、有史以降の火山活動について、グレゴリオ暦成立以前の年代については、和暦と共にユリウス暦を併記しています [2]。
とはいえ、グレゴリオ暦の採用時期は国によって大きく異なります。さらに、日付を見ただけでは、グレゴリオ暦なのか、ユリウス暦なのかを判断することは困難です。そこでISO 8601(JIS X 0301)では、情報の送り手と受け手の双方が認める場合にのみ、仮想的なグレゴリオ暦を利用することができる、と規定しています。
一方、日本では明治時代に至るまで長い間、太陰太陽暦を用いてきました。この暦は、ひと月の長さを新月の日から次の新月まで(約29.5日)とするので、通常、1年の長さは354日(29.5×12)になります。ただし、太陽年の長さと合わせるために、時々閏月を挿入して、1年を13ヶ月にして調整します。しかし、明治維新後、太政官布告第337号[5]が交付され、明治6(1873)年1月1日から太陽暦が使われるようになりました。ただし、この改暦では、4年に一度閏年を設けることしか示されていませんでした。これを正すため、明治31(1898)年に勅令第九十号(閏年ニ関スル件)[6]が交付されました。これによって、1900年を平年にすることができたので、明治6年以降は、日本は事実上グレゴリオ暦を使用していると言えます。なお、日本では年号(元号)を使用していますので、JIS X 0301では年号の表記法規定が追加されています。
[参考文献]
[1] 青木信仰(1992)、時と暦、東京大学出版会、pp.159-162
[2] 気象庁、有史以降の火山活動について、
https://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/tokyo/history_kaisetsu.html (2022年5月23日閲覧)
[3] ISO 8601:2000 Data elements and interchange formats - Information interchange - Representation of dates and times(注:この規格は2019年に改訂され、拡張形式の表記法を加えて2部構成になった。)
[4] JIS X 0301:2019 情報交換のためのデータ要素及び交換形式-日付及び時刻の表記(注:この規格はISO 8601: 2000 を基にして、和暦の表記を追加して制定されたJIS X 0301の、追補1:2019による改訂版である。)
[5] 明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)(1872)e-GOV法令検索、デジタル庁 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=105DF0000000337_20150801_000000000000000
[6] 明治三十一年勅令第九十号(閏年ニ関スル件)(1898)e-GOV法令検索、デジタル庁 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=131IO0000000090
(2022年06月07日 初稿)